2021-02-26 第204回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号
○中谷(一)分科員 大臣にちょっと伺いたいんですけれども、一九九八年に発覚した大蔵省の接待汚職事件、この事件では、大蔵省職員らが歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店で金融機関から頻繁に接待を受けていたことが発覚をして、官僚七人が逮捕、起訴されて有罪となって、そして、三塚博大蔵大臣、小村武事務次官が監督責任を取って引責辞任をしました。
○中谷(一)分科員 大臣にちょっと伺いたいんですけれども、一九九八年に発覚した大蔵省の接待汚職事件、この事件では、大蔵省職員らが歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店で金融機関から頻繁に接待を受けていたことが発覚をして、官僚七人が逮捕、起訴されて有罪となって、そして、三塚博大蔵大臣、小村武事務次官が監督責任を取って引責辞任をしました。
一人は、この数年前の大蔵省不祥事のときの三塚博元大蔵大臣。二人目は、この防衛省、防衛庁でありましたが、額賀元防衛庁長官。三人目が昨年の稲田大臣であります。少なくても、実際にこの自分の部局、部下がそういう形で不祥事を起こしたということに対して、監督責任でこの三名の閣僚が辞めておられます。 これだけそろっている。これ、安倍総理自身が監督責任を取るべきじゃないかと思います。
一人が三塚博大蔵大臣でございますが、三塚博大蔵大臣がどういう官僚の不祥事で辞任をしたかの事実についてお答えを、財務大臣、いただきたいと思います。
そして、そのときの大蔵大臣、三塚博さんでありました。三塚博さんは、二日後ですよ、一月の二十八日に、その責任をとって、自分の省から逮捕者が出たということで辞任をされたんですよ。 こういう歴史もあるわけでありますが、財務大臣、この話を聞いてどうお考えですか。
昭和六十三年に大学を卒業された先生は、故三塚博元外務大臣の秘書としてさらに修行を重ねられ、来るべき将来に備えました。そして、平成三年四月の統一地方選に勇躍、立候補。生まれた津軽で全力投球をスローガンに、弱冠二十五歳の若さで青森県議会議員に初当選を飾られ、政治家としての第一歩をスタートされたのであります。 そして、平成八年十月、いつかは国政にと志しておられた先生にチャンスが到来しました。
プーチン大統領が就任した二〇〇〇年、その秋に初めての公式訪問が、プーチンさん、九月に来まして、私も超党派日ロ議連の一員として、当時は三塚博先生が超党派日ロ議連の会長という形で、五、六名で、今の高村副総裁もその中に入ってお聞かせをいただいたところでございます。
前にも言ったことがあるかもしれませんが、私は、三塚博代議士、自民党の交通部会長として、運輸大臣として、国鉄民営化、主導的に役割を果たしたんですよ。その三塚代議士が今日の状況を見ていたらやっぱり怒りますよと、私は勝手ながら実は確信をいたしております。 国鉄民営化三十年ですよ、皆さん。三十年の間、一人の人が実質上の経営の最高責任者として君臨をする、しかも代表取締役名誉会長ですよ。
私は、かつて運輸大臣をされました三塚博代議士の当時は部下でございまして、県議会議員でございました。国鉄民営化、一生懸命体を張って頑張られた人であります。この民営化の作業の中で一人の実力者が長きにわたって会社の実権を持たれるということは、恐らくその当時全く予想だにはいたしておりません。
次に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員三塚博先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、日程第一ないし第三につき、米澤外務委員長の報告がございます。三件を一括して採決いたしまして、全会一致であります。 次に、日程第四及び第五につき、高木農林水産委員長の報告がございます。採決は二回になります。
山本喜代宏君 阿部 知子君 五月七日 辞任 補欠選任 葉梨 康弘君 寺田 稔君 阿部 知子君 山本喜代宏君 同日 辞任 補欠選任 寺田 稔君 葉梨 康弘君 山本喜代宏君 阿部 知子君 ————————————— 本日の会議に付した案件 新議員紹介の件 永年在職議員として表彰された元議員三塚博君逝去
○武部委員長 次に、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る四月二十五日、永年在職議員として表彰された元議員三塚博君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
永年在職議員として表彰された元議員三塚博君は、去る四月二十五日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 三塚博君に対する弔詞は、議長において去る四月二十九日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
そのときに一緒に取り組みましたのが、一昨日惜しくも亡くなられました三塚博さん、そして引退をされました藤波孝生さん、現在の衆議院議長の河野洋平さん、そして前総理の森さん、それと私とでこの法案を取りまとめをしたわけであります。
十八、九年前でありますけれども、今は国会を勇退されました三塚博元大蔵大臣、運輸大臣、私は、言ってみれば禄をはんだ一人でございまして、当時、県議会議員。本当に国会議員というのはすごいものだ。あの三塚さんが、若手、中堅の国会議員を糾合いたしまして、本当に高い志を持ち、また使命感を持ち、そして勇気を奮って、いかなおどかしにも屈することなく国鉄改革をやり遂げた。
赤城 徳彦君 伊吹 文明君 池田 行彦君 石川 要三君 衛藤征士郎君 尾身 幸次君 大原 一三君 奥野 誠亮君 田野瀬良太郎君 高鳥 修君 津島 雄二君 中山 正暉君 丹羽 雄哉君 葉梨 信行君 萩野 浩基君 原田昇左右君 松岡 利勝君 三塚 博
三二 同(島聡君紹介)(第六五号) 三三 同(玉置一弥君紹介)(第六六号) 三四 同(中山太郎君紹介)(第六七号) 三五 同(根本匠君紹介)(第六八号) 三六 同(肥田美代子君紹介)(第六九号) 三七 同(細川律夫君紹介)(第七〇号) 三八 同(堀込征雄君紹介)(第七一号) 三九 同(牧野隆守君紹介)(第七二号) 四〇 同(松本剛明君紹介)(第七三号) 四一 同(三塚博君紹介
——— 委員の異動 六月二十六日 辞任 補欠選任 山本 幸三君 杉浦 正健君 七月十八日 辞任 補欠選任 池田 行彦君 竹本 直一君 衛藤征士郎君 松島みどり君 尾身 幸次君 谷畑 孝君 大原 一三君 棚橋 泰文君 奥野 誠亮君 阪上 善秀君 松岡 利勝君 西川 京子君 三塚 博
——— 委員の異動 六月二十日 辞任 補欠選任 杉浦 正健君 山本 幸三君 同月二十三日 辞任 補欠選任 伊吹 文明君 水野 賢一君 池田 行彦君 宮澤 洋一君 尾身 幸次君 馳 浩君 奥野 誠亮君 竹本 直一君 津島 雄二君 渡辺 博道君 原田昇左右君 小此木八郎君 三塚 博
伴野豊君紹介)(第二七四六号) 同(肥田美代子君紹介)(第二七四七号) 同(菱田嘉明君紹介)(第二七四八号) 同(平岡秀夫君紹介)(第二七四九号) 同(古屋圭司君紹介)(第二七五〇号) 同(保坂武君紹介)(第二七五一号) 同(細野豪志君紹介)(第二七五二号) 同(松島みどり君紹介)(第二七五三号) 同(松野博一君紹介)(第二七五四号) 同(松野頼久君紹介)(第二七五五号) 同(三塚博君紹介
荒巻 隆三君 伊吹 文明君 石川 要三君 尾身 幸次君 奥野 誠亮君 金子 一義君 金子 恭之君 栗原 博久君 高鳥 修君 竹本 直一君 津島 雄二君 中山 正暉君 丹羽 雄哉君 葉梨 信行君 萩野 浩基君 原田 義昭君 松岡 利勝君 三塚 博
保利耕輔君紹介)(第一五二五号) 同(牧野隆守君紹介)(第一五二六号) 同(桝屋敬悟君紹介)(第一五二七号) 同(松崎公昭君紹介)(第一五二八号) 同(松島みどり君紹介)(第一五二九号) 同(松浪健四郎君紹介)(第一五三〇号) 同(松本剛明君紹介)(第一五三一号) 同(松本龍君紹介)(第一五三二号) 同(三ッ林隆志君紹介)(第一五三三号) 同(三井辨雄君紹介)(第一五三四号) 同(三塚博君紹介
岩崎 忠夫君 衛藤征士郎君 尾身 幸次君 大原 一三君 亀井 善之君 栗原 博久君 佐藤 勉君 阪上 善秀君 高鳥 修君 竹本 直一君 津島 雄二君 中山 太郎君 中山 正暉君 丹羽 雄哉君 葉梨 信行君 萩野 浩基君 林 省之介君 三塚 博